小説は読むだけでも楽しいので、一度は自分も書いてみたいと思ったことはありませんか?
その思いが膨らみ、小説を書いて生活をする人。
つまりプロの小説家になりたいと夢を見た人も決して少なくないはずです。
僕も文章を生活の糧に出来るようになったのは文章に興味がある人が多いからですが、決して創作活動を軸にお金をいただける機会なんて滅多にありません。
なので、今回は親しいプロ小説家の友人に記事を寄稿してもらったものをご紹介します。
下記から友人の記事になります。
小説でしか出せない魅力や価値を信じる人へ
今の時代に小説を書きたいと思う人は、やはりかなりの変人ということになるのだろう。
最近新聞などで発表された2019年の調査によれば、1ヶ月に1冊でも本を読む人の割合は40%だという。
読む側の人にしても、読んだ本の多くは自己啓発書などの実用書に違いない。
しかし需要がなくなったからといって小説自体の必要性もなくなったというわけではない。
ディジタル文明全盛期の今の時代にも、小説でしか出せない魅力や価値がある。
多かれ少なかれそう信じる人が、今、小説を書きたいと思っている人たちではないだろうか。
私は一度マイナーな文学賞を取って幻冬舎からデビュー作を出したことがある。
が、プロの実績はそれだけだ。
最近はそういう人が多いので、埋もれた作家の再デビューを叶える文学賞まで出来ているそうだ。
そんな私でよければ、以降の小説ビギナーのためのささやかなヒントを読んでもらいたい。
最初にくる挫折から3年以上書き続けたときに立ちはだかる大きな壁についてまで、私情を交えて書いてゆきたい
小説はすぐ書ける、だけど書けない
多くの人は小説は誰にでも書けると思っている。
ほとんど誰もが読み書きができるので、そう思うのも自然なことだ。
確かにその通りなのだが、他人が読むに値する小説となると話がまったく違ってくる。
ビギナーの最初の挫折はこのギャップから生まれる。
まずただの小説と人が読める小説の大きな違いを認識することが大切だ。
ほとんどの人はすぐ書けるので、すぐにいい小説が書けたと勘違いする。
かく言う私もハタチの書き始めの頃、日記もろくに書けないのに小説を完成させたと思い込み、さらにそれを文学賞に送ったことがある。
まったく迷惑な話だ。
私のようにハタチで始めたら、ほとんどの人はまともな小説が書けるまで10年以上はかかることを覚悟しなければならない。
村上春樹は29歳のときに初めて書いた小説でデビューできた。
それは彼が天才だからではない。
彼のそれまでの読書量が普通の人の10倍か100倍以上はあったからである。
タレントとしても人気の羽田圭介は何と高校生のときに文学賞デビューした。
しかし、それも母親の言いつけで小学生の頃から朝日新聞の天声人語を書き取り、さらに高学年になるとその要約まで書かされていたからだ。
そういう境遇にあるのでない限り、人が読める小説を書くまでには長い歳月がかかる。
「すぐ書ける、だけど書けない」この現実を直視しないと、ビギナーの最初の挫折を乗り越えることはできない。
小説家は執着心こそ才能・正しい挫折
人が読める小説を書くのは非常に難しい。
なので最初は小説を書くことを目的化してはいけない。
サッカーを始めたばかりなのにJリーグのピッチに立てるわけがない。
何でも文章を書きつづけることが先決だ。
文章がヘタでもいい。
私も10代の頃にはマンガばかり読んでいたので最初は文章とさえ呼べない駄文ばかり書いていた。
絵でもスポーツでもそうだが最も大事なのは上手くなりたいという執着心があるかどうかだ。
ヘタな文章でも執着心さえあればいずれ上手くなる。
才能などはまったく関係ない。
ものになるまで粘ることこそが才能なのだ。
あまりに難しいと思って挫折する人もいるだろう。
この挫折の仕方は正しい。
その人は小説には向いていないのである。
私も最初は漫画家になりたくて絵ばかり描いていたが、上手くなりたい思いが足りなかったので途中で挫折した。
だが、文章に関しては最後まであきらめなかったのである。
最初はやはり日記やエッセイを書けばいいだろう。
日記は何かすごいことがあったときにだけ書けば良いし、エッセイも自分の好きなことだけ書けば良い。
それに伴って小説のキャラやセリフやテーマなどになるアイデアをまとめたネタ帳を作ろう。
それがたまると自然と小説が書きたくなるものだ。
最初はSF作家の星新一のように1~2ページで完結するショート・ショートを書くのが望ましい。
時間・犠牲という最大の壁
そうして5年くらいたつと、おそらく小説家になる上で最も大きな壁が立ちはだかるものだ。
大抵、5年もたつと人が読めるまともな小説が書けるようになる。
そこで自分の殻を破ってプロの小説との比較が出来るようになり、自分の小ささを思い知るようにもなる。
それが壁なのだが、その壁が見えるようになることは極めて重要だ。
私はウヌボレが過ぎてそれが中々見えなかったので遅咲きのデビューになってしまった。
私の経験上、その壁の正体とは時間・経験値である。
まともな小説からプロの小説に格上げさせるには、膨大な時間が必要になるのだ。
私は20代の頃、ポップカルチャーを楽しんだり友達と遊んだりする時間を優先し、片手間に文章や小説を書いていた。
大体、人生の1割ほどしか時間を割いていなかった。
プロの小説・大勢の人に読まれる小説を書くには、1日の時間のほとんど、人生の大半の時間を小説に捧げねばならない。
それほど多くの犠牲が必要なのだ。
文章はいつどこででも書けるものなので、そこまでの覚悟がいるものだとは中々思えないものだろう。
私もそんな風に思っていなかった。
この時間の壁が、最も多くの小説家のタマゴたちに挫折を味あわせるものではないだろうか。
デビュー前の最大の壁を越えられる人とは…
作家・村上龍はかつて世界中を飛び回り「行動する作家」と呼ばれた。
彼はあるエッセイの中で、その呼び名が嘘だとした上で、社交的な人間は作家には向いていないといったことを書いた。
人生を存分に楽しみたい。
お金持ちになりたい。
世の中に大した不満はない。
こういった人が小説を書き続けると間違いなく悲惨な結果になるだろう。
村上春樹はあるエッセイの中で、真の作家は生き方から考え方まで相当な変人であると断定した。
そして、あなたの隣人や友人の中には絶対にいてほしくないタイプの人だとも書いている。
もしあなたが自然と人の輪を作れるような好感度の高いタイプなら今すぐ小説を止めた方がいい。
デビュー前の新人小説家たちに挫折をもたらす最大の壁。
そこを超えられるのは、人生を賭けてでも身内や友人を失ってでも、その壁の向こう側に行こうとする人たちだけだ。
そしてその壁を乗り越えデビューできても、その先には大きな現実の壁が待っている。
そして私は今もまだそれを乗り越えられないでいるのである。
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