今、とにかく世間を騒がせている映画『ジョーカー』。
日本でもなんと公開から5日間で興行収入10億円を突破し、ネット上でも非常に話題となっています。
R指定なので怖い映画なのか?
グロい演出の多い過激な映画なのか?
という予想している方も多いかと思いますが、映画『ジョーカー』は決してそんな単純な評価で表せる映画ではなく、観るには覚悟が必要な超名作なのです。
映画ジョーカーの演出や音楽の魅力
なぜ、“ジョーカー”は生まれたのか。
映画『ジョーカー』は、優しくて純粋な一人の男性、アーサー・フレックがジョーカーになるその過程を描いた作品です。
この映画は、その悲惨さやジョーカーという存在がどういうものなのかを表現する演出にとてもセンスを感じる作品でした。
アーサー役を務めたホアキン・フェニックスは、この役のためになんと24キロの減量をしており、まさに文字通り骨と皮だけでCGかと思うほどの体でした。
そしてその体型が、アーサーの人生の悲惨さや映画自体の不気味さをより強く感じさせていたのです。
他にも、映画『ジョーカー』は必要以上の言葉や説明を足さずに登場人物の心情などが表現されていました。
例えば、アーサーが初めて人を殺めてしまった直後のシーン。
殺人現場から逃走したアーサーは、人目のつかない場所で優雅に踊り始めるのです。
それを見た瞬間に、私はアーサーが人を殺めることに何かを見出してしまったんだなと感じました。
アーサーにとって人を殺めるとはどういう意味をもつのか?
そこに快感や楽しさを見つけてしまったということを表現するのであれば、そのまま高らかに笑ったり、喜んで興奮するという表現でもいいわけですが、それではただ頭のおかしな殺人鬼ととらえられてしまいかねません。
アーサーはあくまでどこか落ち着いた様子で優雅にダンスを始めるのであり、そこにジョーカーとしてのカリスマ性や狂気的な魅力をとても感じてしまいました。
他にも、映画のオープニングのシーンで描かれるアーサーはまだ本当の自分を見つけることができず、仕事のためにピエロのメイクをして笑った口元を書くことで笑顔の表情を作っていました。
しかしジョーカーへと変貌した後半では、人を殺したことでついた血で唇を描くことでピエロの笑った顔を完成させており、“アーサー”と“ジョーカー”の違いを明確に描いているのです。
ラストシーンでジョーカーはカウンセラーを殺めてしまうのですが、それも明確なシーンは映さずに、ただカウンセリングルームから出てきたジョーカーが歩くと真っ赤な血の足跡がつくという演出のみで描かれています。
凄惨さよりもジョーカーとしてのひょうきんさが表現されているようで、ジョーカーという存在を全く壊さない面白いエンディングに心を打たれました。
他にも細かい部分でセンスを感じさせる演出がたくさんあり、ただ暴力的だからR指定というだけではなく、演出がこだわられているからこそ作品に没入してしまうという危険性があふれている作品だったのです。
映画ジョーカーの世界観を作り上げる音楽
そうした没入感を作り上げる演出としてもう一つ注目したいのが、映画の中で使用されていた音楽についてです。
映画『ジョーカー』はとにかく最初から最後まで暗くて鬱な映画だったのですが、劇中に使用されていた音楽が、そうした陰鬱な雰囲気をより強くしてくれていたのです。
映画『ジョーカー』の音楽を担当したのは、映画音楽作曲家のヨハン・ヨハンソンの弟子であるアイスランドの作曲家、ヒドゥル・グドナドッティル。
弦楽器の美しい音が1つ鳴るだけで、心臓がゾワッとなるような恐怖と絶望感が漂うのです。
1シーンを演出する派手な音楽ももちろん映画を魅力的に演出してくれますが、劇中に使用された彼女のとにかく陰鬱な音階を奏でる音楽が、知らず知らずのうちに観る人を作品の鬱屈した世界に引き込んでいくのです。
他にも、アーサーが優雅にダンスをするシーンで流れるのはゲイリー・グリッターの音楽。
ゲイリー・グリッターと言えば、児童ポルノや児童買春など数多くの不祥事を起こし、有罪判決を受けた経歴を持つアーティストです。
そんな彼の楽曲を使用したことは賛否両論を巻き起こしているようですが、内容は違えど不祥事だらけの彼のぶっ飛んだ人格はジョーカーにリンクする部分もあるとも言われています。
映画『ジョーカー』はインパクトのある音楽と無意識の部分に訴えかけるような静かな魅力を持った音楽がシーンによってうまく使い分けられており、視覚だけでなく聴覚からも観る人に訴えかける作品になっているのです。
映画『JOKER』の世界観が好きな人は、ぜひオリジナルサウンドトラックをチェックしてみるのもおすすめです。
映画『ジョーカー』が名作と評価される理由とは
映画『ジョーカー』はR指定であることから、見る人を選ぶ作品だということは想像できます。
暴力シーンが過激だったり、グロいシーンが多いのかな?と漠然と思っていたのですが、なんとアメリカの大手の映画館が映画『ジョーカー』の鑑賞に関して
「R指定になっているのには相応の理由がある」
「子供向けではありません」
と改めて警告文を公開したという話を聞いて、どうやらそんな単純な話ではないようだとこの映画により興味を惹かれました。
そして実際に映画『ジョーカー』を観てみると、この映画に対して異例の警告文が発表された理由がわかりました。
私が映画『ジョーカー』を見に行ったのは田舎町の映画館のしかもレイトショーだったのですが、本当に満席で驚きました。
R指定ということは過激な表現があったり見る人を選ぶ作品であるのに、こんなに満員の劇所を見たのは最近では久しぶりに感じました。
やはり金獅子賞を受賞したとなるとみんな注目するようです。
いざ上映が始まると、あっという間の2時間でした。
上映終了後も満員の劇場はなんだか静かで、みんなが作品の深い余韻から抜け出せない雰囲気がありました。
映画を見た帰り道、映画のことについて改めてゆっくり考えていたのですが、そこで私はジョーカーが誰かを殺めたときに、
「人を殺めてしまった」
「罪を犯してしまった」
「そんなことをしてはいけない」
というような感情を一切感じなかったことに気づいてゾッとしたのです。
特に「やってやれ!」とまで思っていたわけでは決してありませんが、そこに罪の意識を見出すことが全くなかったのです。
そして、これこそが映画『ジョーカー』はR指定された“相応の理由”なのではないかと思いました。
それなりに年齢を重ねて大人になり、実際にいろんな事件の報道をたくさん目にしてその度に部外者ながらも心を痛めてきたはずの自分の道徳観と言うか倫理観が、こんなに自覚もないまま自然に揺るがされてしまっていたところにものすごい衝撃と恐ろしさを感じ、この映画のすごさを改めて感じたのです。
悪役として人気の高いジョーカーですが、この作品では1人の男性があまりにも過酷で悲劇的な環境を生きる中で悪へと変貌していく姿を描いたものです。
そのストーリーについて、「悪役にこんな悲しい過去がある」という話自体が残念という意見もあります。
確かに、悪い奴だけどこんなにかわいそうな人なのよなんて言われてもなんだか興ざめするだけというところはわかります。
ただ、映画『ジョーカー』は決してそういう話ではないと私は思います。
コメディアンを夢見て生きてきたアーサーは何をしても報われることがなく、しかし、人を殺めることが自分に合った唯一のものだと気づくのです。
最終的にはジョーカーとなったアーサーはそこで幸せ者になったのだと思います。
アーサーは脳の異常のために突然笑いだしてしまうという発作を持っています。
ジョーカーになってからはその発作が出なくなるのです。
ジョーカーになったことでやっと精神が安定できたように思えたのです。
だから、あれはジョーカーの過去の悲劇を描いたものというよりは、アーサーが最終的に救われる物語であったように私は感じたのです。
しかし、アーサーは人を殺めてしまった犯罪者であるにも関わらず、アーサーが救われた結末であると思ってしまう。
そんなところにも、映画『JOKER』の深くて恐ろしい魅力が感じられ、なおかつ作品の舞台は決して現実離れしたものではなくむしろリアルな現状でもある。
こんなに恐ろしい映画なのにどうしても完全なフィクションと言い切れず、没入してしまうのです。
この映画をつまらないと思う人は、もしかしたらとんでもない幸せ者なのかもしれません。
映画ジョーカーの演出や音楽の魅力を解説!名作と評価される理由とは?まとめ
映画『ジョーカー』じゃ、最終的には物語の真相が明かされぬまま結末を迎えるため観た人はみんなが戸惑い、オチの予想も人によってそれぞれ違います。
そうやってこの映画を観た人が混乱しているのを「してやったり」と悪い顔で笑っているジョーカーの姿が思い浮かぶようで、そういったところでもこの映画は“ジョーカー”という存在やその世界観を全く壊さずにうまく表現しているのです。
ジョーカーを生み出したのは間違いなく私たちのような存在であり、それでいてかつ私たちは誰しもジョーカーになり得る。
映画『ジョーカー』を観た人の多くが感じている感想は、それだけあの悲惨で陰鬱な世界を自分にも投影させて没入させているのです。
将来に備えて自分の切り札を作り込む講義
押して見る!👇