『100日後に死ぬワニ』が今、静かなブームになっている。
漫画家・イラストレーターの“きくちゆうき”さんの手による四コマ漫画である。
Twitterに毎日夜7時に上がっていることから「日めくり漫画」とも呼ばれているようだ。
ゴールは去年の開始から100日後に当たる2020年3月20日である。
この死ぬ運命にあるワニはTwitter上で1日目から8万以上の「いいね」をもらい、最新の36日目は更新されて4時間しか経っていないのにすでに9万近くの「いいね」を集めている。
なぜ今この悲運のワニが多くの人の共感を呼んでいるのか。
このワニは現代人の最適なメタファーなのか。
そういったことについて少し掘り下げてみたい。
作者きくちゆうきさんが語るテーマとは
作者のきくちゆうきさんについて見てゆこう。
きくちさんは何より多才な人である。
漫画を描きながらTシャツなどのイラスト・デザインやアート絵画の個展などにも手を伸ばしている。
このクロスオーヴァーな活躍ぶりは新たな時代の漫画家像を感じさせるものだ。
『どうぶつーズ』という漫画の代表的なシリーズ作がある。
動物ばかりがいる街で若者3人が現代人のような普通の日常を送るというものだ。
この作風もまた作者の仕事スタイル同様のクロスオーヴァー・つまりこどもの絵本と成人ドラマの越境を果たしている。
100日後に死ぬワニもまた同じ作風である。
『どうぶつーズ』のスピンオフ作品とも見れるのではないか。
きくちさんはこの死ぬワニについて
「自分の終わりを意識したほうが、より良い生き方ができるだろうな」
という思いから生まれたと語っている。
まさに、この漫画のテーマをずばり言い当てている。
だが、このように言葉にするとどうしてもありきたりな感じになってしまう。
つまりは明日死ぬかもしれないという覚悟の元に今日を精一杯生きろというワケである。
それはとても大切な悟りなのだが言葉にすると右から左にスーっと流れてゆくだけのものになる。
だからこそ表現というものがある。
きくちさんは死ぬワニを立てた日めくり四コマ漫画によって、この死ぬほど退屈な人生哲学にちょっとした彩りを与えたのだ。
たった4日間で築かれた100日漫画の土台
『100日後に死ぬワニ』のこれまでを少し振り返ってみよう。
記念すべき第一日目の四コマはワニがただTVを見て笑っているだけの話だ。
2日目は一年後の受け取りになる人気の通販商品を予約購入してしまう。
3日目は危うく車にひかれそうになったひよこを助けて「死ぬかもしれないよ」と注意。
4日目はただ一日中、空をながめているだけの話だ。
一見何気ないような日々だが、作者のきくちさんはこのたった4日間で『100日後に死ぬワニ』の世界観の土台を築いている。
1日目は、死が近づいていても人は小さな日常を生きるしかないということを伝える。
この痛切なペーソスがこの作品全体の空気感だといえるだろう。
2日目と3日目は死から遠いワニの庶民感覚を伝える。
3日目はひよこを助ける際、自分も車にひかれそうになっておきながら、ひよこにその死の危機を押し付けている。
このワニはよっぽど死というものから意識が遠いのだと多くの読み手は感じるだろう。
そして彼らの多くは自分もそうだと気づいてこのワニに心を寄せるのである。
死期が迫る中で最も有意義な人生の過ごし方とは
4日目は一見ただのヒマつぶしに見える。
だが実は死期が迫る中では最も有意義な時間の過ごし方なのである。
他の日には鳥のために巣箱を作ったり、災害に備えた食料を全部食べたり、目覚まし時計を消して二度寝したりする話がある。
これらもまた残り少ない人生において有意義な時間の過ごし方である。
それらの行為は日常のルーティンから外れている。
日常的な行為とは何十年と続く人生プランの元、日々の中に割り振られたものだ。
一方で日常ルーティンから外れた行為は今そこにある何かを獲得するためのこと。
だからこそ100日後に死ぬワニには有意義なことなのだ。
この漫画には何気に「明日死んでも後悔しない生き方」がちりばめられている。
作品全体の空気感を作り、読者への共感を呼び込み、テーマに沿った答えを提供する。
この意味で、きくちさんは最初のたった4日間で100日続く漫画の土台を築いていたといえる。
ワニは野生を腐らせる現代人のメタファー
『100日後に死ぬワニ』が静かなブームになった最たる理由は、まさにこのワニが現代人のメタファーとしてぴったりくるからじゃないだろうか。
いつ死ぬかも分からないのに死を意識しないまま小さな日常を淡々と過ごしている。
こういう生き方に当てはまらない人は今ほとんどいないのではないか。
今の時代、ほとんど誰もが100日後に死ぬワニだといっても過言ではないだろう。
ワニはまた獰猛な生き物であり、本能や衝動のメタファーとも見れる。
私たち現代人にもワニのような野生がある。
だがほとんどの人は日々それを発揮することなく生活や仕事の中に小さく納まっている。
それは命というものの輝きをムダにしていることにはならないのだろうか。
100日後に死ぬワニは、ワニという凶暴な捕食者でありながらバイトをしたりゲームをしたりしている。
それに哀愁を感じる人は少なくないだろう。
きくちさんのワニと岡崎京子さんのワニ
私は個人的に「死ぬワニと漫画」という点から岡崎京子さんの漫画『Pink』を思い出した。
ヒロインのユミはOLながら巨大なワニを飼っており、その高額なエサ代のために夜は売春で稼いでいる。
岡崎さんのワニはきくちさんのワニのようにしゃべりはしないが可愛らしい画風が似ている。
また死ぬ運命にあるという点でも一致している。
色んな事情からユミのワニは最後にワニ革のバッグになってしまう。
最後にユミはそのワニ革のバッグを片手に来るはずのない恋人を空港で待つことになる。
テーマは愛と資本主義。
『Pink』でもワニは現代人が失った今を生きる野生のメタファーであったに違いない。
何しろそれがワニ革のバッグという商品に化けてしまうのだから岡崎さんらしい強烈な風刺が効いている。
さて、きくちさんのワニは今後どうやって死んでゆくのだろうか。
突然の事故死か末期がんが発覚したのか、それとも自殺・他殺なのだろうか。
ワニは死なないのではという声もあるが、もしそうなればこの漫画の良さが土台からひっくり返されることになるだろう。
いずれにせよ2020年3月20日の夜7時にこのワニは運命のときを迎える。
それがどんな形であれ多くの人はそれを自分のことのように痛切に受け止めるのではないだろうか。
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