映画『ジョーカー』が世界中で大きな波紋を広げている。
2019年秋、日本もふくむ世界の主要国で公開されるなり、アメリカを始めとした多くの国々で議論を巻き起こすことになった。
リアルで陰惨な暴力シーンを伴う物語が、アメリカでは貧困層による世の中への暴力的な復讐を助長していると批判されている。
その一方で『ジョーカー』は辛口で知られるRotten Tomatoesで76パーセントの評価を得ている。
日本でも公開からわずか12日間で興行収入20億円を突破し、ランクトップを走っている。
これは果たしてただ社会に混沌の種を植えつけるだけの映画なのか、それとも貧富の格差是正を訴える社会派ドラマなのか、考えてゆきたい。
バットマンのリブートには収まらない重厚なドラマ性
そもそも『ジョーカー』はバットマンシリーズの1作品であり、舞台も1980年代のゴッサムシティだ。
しかしそれは建前であり、実際はジョーカーの原点からインスパイアされた重厚な人間ドラマになっている。
バットマンシリーズとは確かにずっとリブート・再起動スタイルで作られてきた。
映画におけるリブートとは元が同じ作品のシリーズものを、新しい形で新たなシリーズにするというものだ。
最近、日本でもポップシンガーのmiwaが『リブート』という曲を作って話題になった。
天真爛漫なイメージだった彼女が心機一転ショートヘアでハードロックを歌っている。
彼女は最近オリンピック王者・萩野公介とのデキ婚で騒がれた。
それ以前からmiwaとの交際は東京五輪前の萩野の絶不調の原因にもあげられていた。
なので『リブート』は相当世間から叩かれたなぁということを感じさせる、まさに再起動な仕上がりだった。
それはともかく、バットマン映画は主に90年代のティム・バートンの3部作、2000年代のクリストファー・ノーランの3部作として知られる。
2つのつながりはリブートなので希薄だ。
2019年公開の『ジョーカー』もその意味でリブート作である。
が、それは明らかに再起動の枠を超えている。
miwaでいえば、スキンヘッドにしてヘビメタを歌うくらいのイメチェンである。
主役のアーサーはジョーカーとは名ばかりの頭の先から足の先まで人間くさい男だといえる。
監督のトッド・フィリップスは貧困と精神病に苦しむ中年男が、いかにして陽気なコメディアンから狂気の殺人鬼になるかを丁寧に描いているのだ。
これは明らかにコミック・ヒーローというより文学作品に近い作品である。
貧困層の過激派擁護に結びつけられたジョーカー
『ジョーカー』の公開に当たり、アメリカでは陸軍が動いたという情報も流れた。
信憑性の高い犯罪予告が書かれることが多いダークウェブで、劇場を爆破する書き込みがあったことに触発されたものだ。
兵士たちが映画鑑賞中に警戒に当たるということから、おそらく隠密に劇場を絞った上で潜入作戦を決行したのではないだろうか。
実際に起こった事件もまたこの引き金になった。
2012年コロラド州の劇場で『ダークナイト・ライジング』の上映中に銃乱射事件が起こった。
死傷者は70名。
犯人は自らを「ジョーカー」と名乗った。
2019年公開の『ジョーカー』がアメリカで批判の的になったのもこのためだ。
貧困層が世の中に復讐し始めるというストーリーが、主に白人系の銃乱射事件の犯人に結びつけられたのだ。
また、トランプの岩盤支持層である白人至上主義者たちの暴力性を正当化しているとも受け止められた。
確かにそういう一面はある。
しかしこれは単に過激な保守層にこびたトランプの選挙戦略のような映画ではない。
貧困層が日頃のうっぷんを勝手気ままにぶちまけるような内容ではないのだ。
ジョーカーという映画は理想論では片付かないシビアな現実
アーサーは貧困と精神病の二重苦の中、日々シビアな現実に打ちのめされている。
ほぼすべての鑑賞者は彼の境遇には大いに同情したことだろう。
しかし、彼が世の中の非情さを笑い飛ばすピエロから復讐に高笑いする殺人鬼に変貌すると世論は一気に割れた。
アメリカでは多くの批評家もまた、トッド・フィリップス監督はアーサーにあまりに同情しすぎていると見ているようだ。
つまり彼の苦難は血みどろの復讐劇には値しない、または暴力そのものが絶対的に否定されるものだということだ。
しかし、実はこういう理想論的な考え方、高潔な倫理観への偏りこそが世の中をゆがめているのである。
トランプ大統領の誕生もまたここから生まれている。
暴力を否定し平和的な解決を訴えるのは簡単だ。
誰だってそれが最善策だと思っている。
しかし目の前の現実がそれではどうしょうもないほど荒んでいたら、一体どうするのだろう。
圧倒的な興行収入が示す格差是正のハンパなき支持
『ジョーカー』に怒った多くの良識派の人たちにはアーサーへの共感力が全然足りない。
貧困および虐待家庭に生まれたことで、アーサーは生まれながらに苦難の道を歩むことになった。
映画ではそれが嫌というほどに突きつけられる。
ピエロとして街中に立っているだけで不良たちから殴られる。
しかも事務所のボスからはその責任を背負わされる。
バスの中で病的に笑ったことをわびようと精神病者を示すカードを相手に渡したら無視される。
そうしてカウンセリングを受けていた福祉の場まで予算カットで撤去される。
確かにこれは極端な例だが、アメリカでも日本でも日々マジメに生きていてもこのような仕打ちを受けている人は山ほどいるだろう。
彼らの多くは疎外感を覚え、自分にも世の中にも何も期待しない。
そしてそれ以外の人たちは世の中を憎み、何らかの復讐に走ろうとする。
一方で彼らのほとんどは選挙のたびに投票に行かない。
そこに目をつけたのがトランプだった。
トランプは彼らに受ける政策をかかげ、埋もれていたおびただしい票を掘り起こして大統領の座にまで上り詰めた。
それは暴力や差別は絶対にダメだという良識派の敗北でもあった。
彼らにはおぞましさい現実がまったく見えていなかったのである。
私も暴力には反対だが、貧困層が復讐を始めることに反対はしない。
実際、私は劇場でアーサーを英雄化した貧困層による街頭デモを見て、少なからず共感し興奮を覚えた。
暴力デモさえ否定できないほど今、世の中の格差は広がっているのである。
『ジョーカー』は現在、公開2週目で世界興行収入5,000万ドルを超えており1億ドルの大台突破も確実視されている。
明らかにアメコミ・ヒーロー・DCコミック映画の枠を超えて世界中の人々に受け入れられている。
この数字を見る限り、私のような受け止め方をした人は世界中に数多くいるはずである。
作品性も高く来年のアカデミー賞を複数受賞してもおかしくはない。
格差社会が極まった現実を世界中に伝えるということにおいて、ジョーカーは笑えないほど大きな影響力を世に放ったといえるだろう。
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